言語教師って


 その言語を「普通」に使っている話者と違い、「ど真ん中にいるではなく、一歩の距離を置いてその言語を見つめている」者だという見解に賛同するが、見つめなければならないのは、身の回りに存在する言語だけでなく、自分自身が使うその言語、そして、そこに出てくる人格というものも常に内省しなくてはならないのではないか。